
「番号」
1868年、イギリス船シオト号でハワイへ渡った153名の元年者(がんねんもの)に始まったハワイ日系移民は、その後、出稼ぎ労働者社会から永住者社会への移行が進むなかで、1920年、オアフ島各地で起きたサトウキビ・プランテーションの大きなストライキを経て、1924年、合衆国議会の移民法制度により、事実上終止符となった。
日系移民の一世の人たちは、プランテーションで働く際、木綿の素朴な着物と股引きに長袖シャツを着て働き始めた。やがてそれをほどいて自分たちに合ったものに繕った。金属製の身元認識札を番号と呼んだ。熱帯樹林の葉に新鮮さを覚えた。小川のアヒルを見て心が和んだ。

「ホークー・レッア」
1921年、ストライキの翌年、ハワイに留まることを決めた、一世の人たちのなかに、子を育てたり、教育したりするのには、ハワイのほうがよい、という人たちがいた。そこには特に、ポリネシア民俗の、タパの天然染料を、裂(きれ)への応用へと試みる、といったものは、見られなかった。


