自由人への本染

・道徳的羅針盤 (moral compass)
真の自由は、何事にも束縛されないで、しかし自分で主体的に選択しながら、自分を捧げて生きることを意味します。その意味では、自由に生きるということは、命令されて生きることよりも、より厳しい生き方が求められます。そして自由は、愛において働く時に力となり、生命を得ます。

・厚生のための染色
自然染色のなかで、厚生のための染色を考えるとき、その出来上がった色について、次の三つのことが大切な目的になってきます。第一は、色の迷彩です。ここでの迷彩とは、災いを近づけない、お呪 ( まじな ) いのような役割や、祈りの要素を備えているといったものです。第二には、どこまでも実用的な丈夫な色であることです。そして第三としては、わたしたちの気持ちをひきしめてくれるようなものでなければなりません。厚生とは、人間の生活を健康な豊かなものにすることです。

厚生のための染色は、その昔、日本で戦争がますます激しくなっていた頃、戦に勝つための染色と言われていました。戦に勝つための染色は、染色に用いる材料、つまり、染材についても、違ってくる必要がありました。当時は、染色のために、戦争に必要な材料を1グラムも使わないように、常に心掛けなければならなかったのです。そして令和の社会においては、染色なども、それが何色であっても、無用のものを生かして使うということが、大切な選択肢の一つとなっています。

この無尽蔵の宇宙において、自分だけのコンパスを持って、自由人として暮らすことを意識するのなら、すでにあるものを、人と競争して勝ち取る必要はありません。21世紀の今、人間と動物、人間と植物において、どういう関係が相応しいのか、そしてどのように対応すべきであるのかといったことが、問われています。人間は、森羅万象の一つの要素に過ぎません。

その意味では、厚生のための染色は、戦時と同じく、天然染料による手工芸の染色に属する、古来の本染による無地染の他にはありません。もっとも、古来の本染といっても、それは昔のままの草根や木皮による全てのものではありません。自然反応だけで、天然にいくらでもある野山の雑草や、自然に出来る木や草の葉とかを使って、誰もが、各自の家庭で、他人の手を借りないで、草木が仕事をするのを、人間が仕えてはじめて出来るような染色のことです。

参照:「戦時の本染」「野草の染色」上村六郎

